セキュリティーとしての遵法

● 法律に対する個人の日常生活レベルでの心理的効果

私達は普段、法律を守って生活していますよね。
私はまったく法律に詳しくはないのですが、調べてみると、『刑事法』『民事法』『行政法』『産業法』等その他たくさんのカテゴリーがあり、またその中に膨大な数の法律があることがわかります。
そしてこれはあまりにも当たり前すぎて、あえて言うのもばかばかしいことなのですが、約50年ほど生きてきた私の結論として、「法律はしっかりと徹底的に守っておくべき」です。
いや、ほんとうに「そんなこと言われるまでもない」という話なんですけどね。
現在日本に多々ある法律の中にはおかしな法律もあると思いますし、改正した方が良い法律もあると思います。
そして事実上、それほど厳密に取り締まりが行われていない法律などもあるでしょう。
なので、「こんな法律は馬鹿げてる」とか「こんな法律は間違ってる」とか「どうせバレない」などと思うことも実際あると思います。
しかし、どれだけ納得がいかなくても、実際に悪法であったとしても、少なくともそれらの法律が改正または削除される事になるまでは、その法律を守らなければ法律違反になります。
それでももし、法律を守らず、国や自治体や警察などの目をごまかして《うまくやった》としても自分の心はごまかせませんよね。
個人差がかなりあるとは思いますが、よっぽど頭のネジが外れていたり、根っからのアウトローでもない限り、心の奥に《やましさ》や《不安》を抱える事になるはずですし、それらをひたすら蓄積していくことはさらに心にネガティブな作用を及ぼすと思います。どことなくおどおどしたり、それを隠すために虚勢を張ったり、その結果さらにやましさや不安を増大させてしまう。
問題なのはその心の隙(すき)に付け込まれる可能性があるという事です。具体的に言えば、犯罪に巻き込まれてしまう可能性ですね。
心の中に何のやましさもなく正々堂々として生きている場合と、心にやましさを抱えてなんとなく落ち着かずに生きている場合では、良からぬ者に付け込まれる確率がまったく違うと思います。
つまり、私が言っているのは、道徳や倫理としての遵法(じゅんぽう)ではなく(それも大切だとは思いますが)、自分の身を守るための遵法です。他人の命や身体や尊厳や財産を棄損しないための遵法と共に、他人から自分を守るにあたっての自身の心理効果としての遵法という視点です。
世の中には本当に良くも悪くも色々な人間がいて、みんなが社会の中で同居している状態です。そして自分の身は自分で守らなければなりません。
「知識」や「経験」やセキュリティーのための「財力」と共に、「心にやましい事を持たずに堂々として隙を与えず毅然としている」事も有効な自衛策だと思うのです。

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