『結婚』というもの

つい先日、著述家の勝間和代氏と経営コンサルタントの増原裕子氏が破局したというニュースが話題になりました。このニュースがかなりの話題になったのは2人が共に女性の同性カップルだったからでしょう。

Yahooニュース : 勝間和代さん、パートナーの増原裕子さんと関係解消を報告「好きな人が他にできたと…涙が出てきて止まりません」
Yahooニュース : 増原裕子さん、勝間和代さんとの破局を報告「私が別の人と生きていきたいと思うようになってしまい…」

破局したり離婚するカップルなど異性カップルでもいくらでもいるので、同性カップルが破局したということ自体は特に問題もないと思うのですが、現時点で同性の結婚が認められていない日本で同性婚を認めるように主張する側の当事者の破局はやはり外部からツッコミを入れられますね。というのも、増原氏は以前にもディズニーランドでの日本初の同性同士の式を挙げてマスコミに注目されましたが、そのパートナーとはその式の4年後に破局しています。その破局5か月後に今回の新たな同性パートナー(勝間氏) との交際を公表し、選挙に立候補して落選後に増原氏側からの一方的な理由で勝間氏と破局しているところにも不信感が募ります。
勝間氏の方も過去2度男性と結婚し離婚しているようです。
今回の勝間氏と増原氏以前にも女性同士のカップルがマスコミに注目されつつ大々的に式を挙げたというケースが2例ほどあったようですが、そちら2組もその後破局しているようです。

私は、そもそも『結婚』という社会制度自体に無理があるのではないかと思っています。なので、「同性婚を認めるべき」という結婚信仰を補強する方向ではなく、むしろ『結婚信仰』というものを解除する方向に向かうべきだと考えます。
「同性婚」を認めるべきとか「選択的夫婦別姓」を認めるべきという議論が盛り上がっていて、これらに反対する保守的な人達にも私は賛同できませんが、「同性婚」や「選択的夫婦別姓」を認めて欲しいという主張する人達も、『結婚』という社会制度を補強し援護しているわけです。いままで『結婚』の外側にいた人達も『結婚』の内側に入れようという事ですから保守そのものなわけです。
時代が進むにつれて、結婚しないという選択が可能になったり、結婚しないという選択がしやすくなったり、離婚がしやすくなったりしてきているのは間違いなく私たちにとっては良い事だと思います。
我慢しないでさっさと離婚した方が良いし、離婚するなら初めから結婚しない方が良いわけです。
「親のため」とか「世間体」とか「社会的立場」とか「みんながしているから」とか、結婚していない者に対してのプレッシャーが強いわけですが、その事自体が胡散臭いのです。
『結婚』などという社会制度はそもそもなくしてしまった方が良いのではないか。
『結婚』が人を幸せにするのかどうか私にははなはだ疑問です。

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