京都アニメーション放火殺人事件に思う『責任』

今年7月、アニメ制作会社京都アニメーションのスタジオに放火し、36人の死者を出した事件で、自らも重度の火傷を負い大阪府内の入院していた容疑者が状態の回復に伴い京都市内の病院に転院したという事が先日ニュースで伝えられましたが、転院の際、容疑者が今まで入院していた病院のスタッフへ「人からこんなに優しくしてもらったことは、今までなかった」と感謝していたという事が話題になりました。

京都新聞 : 京アニ事件容疑者「こんなに優しくされたことなかった」 医療スタッフに感謝、転院前の病院で
MBS : 京アニ事件・青葉容疑者が転院 病院職員に「お世話になりありがとうございました」

このニュースが伝えらると、ネットでは容疑者に対する同情の声もかなり上がりました。
これほど残虐な事をした人間ですから、ひどい育成環境の下でまともな人間性も育たないままにに生きて来た人間なんだろうなという事は私も思っていましたし、そう思っていた人も多いと思いますが、やはりという感じです。
それでも、故意の放火で何の罪もない36人を死亡させ33人に重軽傷を負わせた41歳の容疑者に対しては現時点でのこの国の最も重い刑に処する以外にはありえません。かわいそうな人なら罪を軽くし、かわいそうではない人なら罪を重くするなどありえない事で、絶対にそんな事はあってはなりません。そんなものは法治ではありません。同情の余地の有無などではなく、起こした事に対して刑罰を対応させなければならないと私は考えます。
彼自身にみずから起こした事の責任を償わせるのは当然として、しかし、「彼をこのような人間にしてしまった原因はどこにあるのか」「彼をここまで追い詰めてしまった原因はどこにあるのか」「育成歴というものをしっかりと考えなければいけないのではないか」、今回の事件だけでなく、今まで残虐な事件が起こる度に私はずっとこのように思って来ました。そしてこの京都アニメーション放火殺人事件の容疑者の今回のニュースはその事を強く私達の眼前に差し出したなと思います。
彼の経歴を調べてみると、小学生時代はいじめにあっていて学校には登校せず家に引きこもっていたとか、中学に進学後もやはりいじめにあい学校にはほとんど来ていなかったなどの情報がありますが、真偽のほどは定かではありません。しかし、中学校の同級生は「まったく覚えていない」「印象がない」などと語っていて、中学校の卒業アルバムの集合写真に彼は写っておらず、彼だけ別撮りだったようです。中学校卒業後は働きながら定時制高校に通い、卒業後は新聞販売店やコンビニ、郵便局など職を転々としていたようですが、2006年には下着の窃盗で逮捕。その後はハローワークの紹介で雇用促進住宅に移り住むも39,000円の家賃を滞納し続け、また度々騒音問題などを起こしていたらしく、2012年にはコンビニエンスストアで強盗事件を起こし2度目の逮捕。懲役3年6カ月の実刑判決を受けての服役後、更生保護施設を経てアパートに移り住み、生活保護を受けて暮らしていたようですが、そこでも騒音問題などを起こし、度々通報されていたとのこと。そして今回の京都アニメーション放火殺人事件を起こしたわけです。
彼の両親は彼が小学3年時に離婚していて、彼は兄と妹と共に父親に引き取られたという事です。父親は市議会議員の運転手や幼稚園バスの運転手、タクシー運転手などの職歴があるようですが、彼が21歳の時に自殺しているようです。
彼の両親についての情報はネット上に多々あるのですが、偽の情報もある可能性があるのでここに書くのは止めておきます。
凶悪事件を起こすような人間はもちろんそれなりの理由があります。罪を犯した人間はその本人が罪に問われるのは当然ですが、その犯罪者の育成環境を常にまったく問題視しない事には大きな疑問を感じます。そのひずみは少年法にわかりやすく表れています。名前や顔を公表せず、刑罰も成人より軽いなどという対応をするのであれば、親の責任を問わなければ辻褄が合いません。
特に成人後は「親は関係ない」という考えが一般的ですが、これにも私は同意できません。
未成年だろうが成人だろうがそもそも人は誰もが自分の意志で生まれて来るわけではなく、親の意志によってです。その人が存在している原因はその人にはなく、親の選択と判断の結果です。そして人の性格形成や人格形成、情緒や人間性には生まれてからの育成環境が関係していないなどとは私はまったく思いません。親の影響が非常に大きいと私には思えます。もちろん親は責任を回避したいでしょうから、育成環境は完全に無視して子供の自己責任という事にしたいでしょうし、人間の数を確保したい国としては国民の繁殖を促すために親の責任は免除としておきたいのでしょう。しかし、責任感も覚悟もないまま繁殖してしまうロクデナシの下に生まれて来させられる子供は悲惨です。この事件の容疑者はもちろん起こしたことに対しての加害者ですが、親や社会の被害者の側面もあります。多くの人は内心その事がわかっているからこそ、「人からこんなに優しくしてもらったことは、今までなかった」という41歳の容疑者の言葉に少なからず、同情の気持ちを持つわけでしょう。
この京都アニメーション放火殺人事件の容疑者はこの後のさらなる容態の回復をみて逮捕され裁判にかけられるはずですが、先ほど書いたように、現在のこの国の最高刑である極刑以外あり得てはならないと私は考えます。しかし、すべての犯罪が今までそうであったように、単に犯人が悪いというだけにして犯人を極刑に処したところで何がどうなるわけでもないし、今後の防犯につながるわけでもありません。被害者も本質的には浮かばれないと私は考えます。

今この国は人口減少が大きな問題になっており、少子化対策が急務という事で、質より量と、何としても国民に繁殖を促したいのだと思いますが、犯罪という名の《ろくでもない人間の下に生まれて来させられた人間からの復讐》が苛烈になる事には想像が及ばないのでしょうか。親の質の悪さや責任感のなさは、保育園の数を増やしたり、教育を無償化したりしたところで決してごまかす事のできない本質的で恐ろしい問題です。
犯罪者に対して同情の念を抱くなら、彼 (彼女) らの『親』の責任と『どんな人間であろうと親になる事を認めてしまう社会』というものに対して思いを至らさなければならないはずでなのです。

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